人気ドラマ「半沢直樹」から、十倍返しという言葉が流行りました。やられたら十倍にして返す。
これはストレスの多いサラリーマンにとっては、胸のスカッとする言葉だと思います。

さて話は変わりますが、親鸞聖人の御師匠の法然上人は、美作(みまさか)の地を治めていた武士閏間(うるま)時国の子として生まれ、幼少の時は勢至丸と呼ばれていました。ところが勢至丸九才の時、土地争いが起こり、隣の領主がある夜突然攻めてきて、勢至丸のお父さんも応戦しましたが、深傷を負いやがて亡くなってしまいます。そのお父さんは死ぬ前に勢至丸を枕元に呼び、次のように言ったと言われます。
「勢至丸よ、わしが死んでも決して仇を討とうとは思うな。そして怨んでもいかんぞ。お前がもし仇を取って怨みを晴らしても、今度は向こうの遺児がお前の命を狙うであろう。これはえんえんと続いてしまう。ここでお前は怨みの無い世界に向かってくれ」
この父の遺言で勢至丸は仏道に入ったと言われています。恨みを持たない仕返しの無い世界が佛教なのです。

インドの南にスリランカという小さな国があります。インドでは佛教は廃れましたが、このスリランカではずっと佛教が続き、今でも佛教が盛んな国です。そのスリランカはアジアの佛教国として日本に親しみを持ち、戦後一番早く正式に日本と外交関係を持ったのもこのスリランカという国です。
実は日本が太平洋戦争で敗戦が濃厚になった時、連合国は戦後の日本統治について計画を持っていました。東北・北海道はソ連が、関東・中部はアメリカ、近畿はイギリスと中国、四国は中国、中国地方・九州はイギリスが支配することになっていたのです。

しかし戦争が終わった会議で、スリランカ代表で会議に出席したジャヤワルダナ氏は次のように言いました。 「我々は佛教徒です。戦争はもう終わりました。過去のことです。やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、いつまでたっても戦争は終わりません。憎しみで返せば憎しみが日本側に生まれ、新たな憎しみの戦いになって戦争が起きます。戦争は憎しみとして返すのではなく、優しさ、慈愛で返せば平和になります。もう憎しみは忘れて、慈愛で返していきましょう。」と。
会議に出席した国には「日本は分割統治するべきで、独立させるなんてとんでもない。」等の意見がありました。実際、敗戦国のドイツはすでにアメリカ・ソ連・イギリス・フランスによって分割統治されていました。しかし結局ジャヤワルダナ氏の演説も作用して、日本は再び独立国として復興の道を歩むことができました。そしてこのジャヤワルダナ氏は後にスリランカ大統領にもなり、日本とスリランカはより親密な関係となってゆきました。それはジャヤワルダナ氏の中に、日本が世界の中でこれからさらに発展してゆく可能性のある佛教国で、いずれ佛教の精神で世界の平和に貢献してゆくだろうという認識があったからだと思います。

「怨みは慈悲で返してゆく」 これが佛教の大きな特徴なのです。

浄土真宗本願寺派 教専寺 福間義朝  著 『赤口』より