見えていないものの見方

これはインターネットに載っていた話です。
ある女子大生が就職活動で会社訪問をしていた時のことです。
大阪の地下の女子トイレに入った時驚いたそうです。そこに年老いた男がじっと立っていたのです。
ひょろりと痩せたそのおじいさんはじっと下を見つめています。
彼女は怒りがこみ上がってきて、その男を睨みつけたそうです。
「この編出者、すぐにでてゆけ」
その思いでじっと睨み続けました。するとしばらくして、その男のすぐ後ろのトイレから聞こえてきました。
「お父さん、終わりましたよ。」
その男がドアを開けると、弱々しいお婆さんが杖をついて立っていました。
男はその女性を支えてトイレから出して水道の所まで連れてゆき、蛇口をひねって水を出し、
彼女が手を洗うとすぐにタオルを出して手をふいてあげました。
そして彼女を支えながら出口に向かい、その女子大生の前を通る時、ペコリと頭を下げたそうです。
その女子大生は愕然としてしばらくその場に立ちつくしました。
そして両目から涙があふれて止まらなくなったそうです。

あの二人は夫婦なのです。老いて病の妻を夫はずっと支え続けて生きているのです。
妻が不自由な体でトイレに入っている時は、何かあったらすぐに対応できるように、冷たい視線を浴びながらもじっと外で待っているのです。
この度も自分の孫のような若い娘さんに睨みつけられても、その屈辱に耐え続けていたのです。
そのすぐそばの妻に気を使わせないように黙って耐えていたのです。
彼女はその時、本当に深い夫婦愛と、その夫の本当の男らしさを感じたそうです。

また、ビートたけしさんにもこんな話があります。
漫才ブームが来て、ビートたけしは一躍売れっ子になりました。
するとたけしのお母さんが、常にたけしにお金をせびるようになったそうです。
「今日は私の誕生日だからお金をくれ」
と、何かにつけてお金を要求してきたそうです。
たけうぃはそんな母親に
「この欲張りばばあが」
と罵倒して、お金を渡したそうです。

そしてたけしのお母さんが亡くなった時、たけしのお姉さんが一冊の貯金通帳をたけしに渡しました。
お母さんからの贈り物でした。
そこにはたけしからもらったお金全てと、自分の年金まで入っていました。
お母さんはたけしのことが心配だったのです。
芸能界というところがいつ食べれなくなるかもしれません。
そのためにお母さんは嫌われながらも、黙って売れなくなったときのために貯金し続けていたのです。
これにはたけしも母のご遺体の側で号泣したそうです。

前述の女子大生は最初おじいさんを見た時の判断は全く間違っていました。
また、ビートたけしさんも全く母親を誤解していました。
私たちの見て判断する世界は確かなものではないのです。

でも、自分の見方が愚かであったと気付かされたら、そこにはとても深い大きな世界が開かれてきます。
女子大生は本当の勇気と優しさを、たけしは底なしの母の愛情を知らされました。

佛法はものの見方を変えてゆくものです。
自分は愚かであったと知らされる度に、そこにはもっと深く広い世界が知らされます。

浄土真宗本願寺派 教専寺 福間 義朝著『赤口』より