四分の一の奇跡

石川県の南西部にある県立きんじょう養護学校の山元加津子先生が話題になりました。
彼女と障がい児との交流を描いたドキュメンタリー映画「四分の一の奇跡」が多くの人達に感動を与えました。

この四分の一という言葉は次のような事から由来します。
ある時アフリカのある村で、マラリアという伝染病が大発生しました。
そしてその村ではマラリアで亡くなった人と大丈夫な人がいました。
そこで科学者が調べると、亡くなった人と大丈夫な人は血液の赤血球の形が異なる遺伝子を持っていたのが判ったのだそうです。
さらに調べると大丈夫な赤血球を持つ遺伝子の人の中に、その遺伝子によって身体に障がいを持つ人もいました。
この人達は村人全体の四分の一に当たるそうです。
この件はこの自然界においては障がいの無い遺伝子がある場合、確率的に必ず障がいを持つ遺伝子もなくてはいけないということを顕しているのだそうです。
このことはマラリアにかからず障がいを持たない人は、障害を引き受けた四分の一の人がいなければ存在できなかったということを意味します。

山元先生はこのことから、この社会において今こうして私たちが元気で生活していられるのは、
過去や現在、病気や障がいを持ち、苦しみながら生きている人のお陰ではないのかと言われます。
一見、私達とは関係ないと思われる障がいを持つ人は、自然界の生命の法則から私のために負の部分を背負ってくださったかけがえの無い存在なのだと言われるのです。

また山元先生が接しておられるきいちゃんという女の子の話が印象に残りました。
きいちゃんは手や足が動かないという障がいを持つ子です。
いつも暗い顔で「どうせ私なんて」と言うのが口癖でした。しかし彼女はある日山元先生にうれしそうに言ったそうです。
「お姉ちゃんが結婚するの。私も結婚式に出るの」と。
ところが数日後きいちゃんは泣きながら「お母さんが私に、やっぱり結婚式には出ないでほしいと言うの」と言ったそうです。
そこで先生は彼女にお姉さんに浴衣を縫って結婚のプレゼントにすることを勧めます。
きいちゃんは手に障がいがあるので、一針縫ったらあとは先生が全て仕上げてプレゼントにしようと思っての提案でした。
しかしきいちゃんは指を何度も針でつきながらも全部浴衣を仕上げたのです。
そしてそのプレゼントをお姉さんに送ると、お姉さんから「絶対に結婚式に出て」という電話があり、
きいちゃんは結婚式に出ることになりました。

やはり車イスのきいちゃんは会場ではみんなからじろじろ見られ、ひそひそ話もされ、彼女はすっかりうつむいてしまいました。
ところが会場に入場した花嫁のお姉さんは浴衣姿だったのです。
そしてお姉さんはあいさつでこう言いました。
「みなさんこの浴衣を見て下さい。この浴衣は私の妹が縫ってくれたものです。
妹は小さいころから病気のせいで私達家族と離れて暮らしています。
だから両親といっしょに暮らす私を怨んでいるのではないかと思っていたこともあります。
でもそうそうじゃなかった。
私は妹から浴衣が届いた時、涙が止まりませんでした。
妹は私の誇りです」と。
会場は拍手が鳴り止まなかったそうです。

浄土真宗本願寺派 教専寺 福間義朝『赤口』より