視点の変化

 人生において視点が変わることで、辛いことが一瞬にして有難いことにもなります。
佛法とは病気が治ったり、急にお金が入ったりして、いいことが起こる教えではなく、
佛法を聞くことによって視点が変わり、今までの愚痴や
瞋(いか)りが感謝や懺悔に転ぜられてゆくことが佛法の働きです。

 これはインターネットに載っていた話です。あるサラリーマンの人が投稿されておられました。
ある日彼は、会社の仕事で出向先にバスに乗って行った時、そのバスはいっぱいの人でぎゅうぎゅう詰だったそうです。
中の空気はすごい熱気で最悪の状態で、しかもバスの奥の方で赤ちゃんがギャァギャァ泣いています。
彼はなんでこんなバスに乗り遭わせたのか、自分の運の悪さを嘆いたそうです。

 すると赤ちゃんの泣き声が更にだんだん大きくなりました。
不快感も限界だと思ったら、赤ちゃんを抱いたお母さんが人の中を近づいて来ていることに気づきました。
お母さんはバスを降りようとしてこちらに来ていたのです。彼は内心やれやれ良かったと思いました。
そしてバス停でお母さんがバスを降りようとした時、運転手さんがお母さんに聞かれたそうです。「どこまで行きたいんですか?」と。
するとお母さんは「大学病院まで行きたいのだけど、この子が泣いてみんなに迷惑をかけるので、ここで降りて歩いて行こうと思います。」と応えました。
さらに運転手さんは「赤ちゃんは病気なんですか?」と聞くと「熱があってしんどいようなんです。
風邪をひいたのだと思います。」とお母さんは答えます。すると運転手さんはマイクを持ってみんなに言いました。
「ここに風邪をひいて熱のある赤ちゃんとお母さんがいます。みんなに迷惑になるのでここで降りて歩こうとしています。
大学病院まで停留所はあと三つです。みなさんがまんしていただけませんか。」

一瞬乗客はシーンとなったそうです。その後何人かの人が拍手をしました。
そしてその拍手はだんだん広がり、やがてバス全体に響く大拍手になりました。
お母さんは赤ちゃんを抱いたまま泣き始めました。そのサラリーマンの方も目頭が熱くなったそうです。
そして思ったそうです。「自分は素晴らしいバスに乗れて良かった。」と。
その後赤ちゃんが泣いても、人の熱気でムッとしても、むしろそれらが有難く感じられたそうです。

 このバスの運転手さんが言われたことが佛法です。
バスに乗っている人は不快感でイライラしていたと思いますが、運転手さんの言葉で視点が変わりました。
自分へのイライラの思いが赤ちゃんの風邪へと向けられ、何とか赤ちゃんが大丈夫であるようにという思いに転ぜられました。
他の人のことを案ずる思いをみんなが持てたら、そこには素晴らしい雰囲気が生まれます。
だからそのバスの中は最高の雰囲気になったのだと思います。

 家庭で職場でいまとても辛い環境にあっても、視点が変わることによって相手に「有難う」と感謝することだって起こります。
それがお仏壇に手を合わすことです。一日一回は佛様の前で手を合わせることは、忙しい日々の流れから一瞬でも「おかげさま」と視点を変える時でもあります。

    浄土真宗本願寺派 教専寺 福間義朝 『赤口』より